minasaka.net

日本女子サッカーの"今"が分かるWEBマガジン「みんな@サッカー」

現役時代は司令塔、なでしこジャパン新監督・高倉麻子への期待

トピックス 大住良之(サッカージャーナリスト)
 私は1973年から82年まで『サッカー・マガジン』の編集部に在籍していた。その最終年、1982年の1月号で、初めて「高倉麻子」の名前がこの日本最初のサッカー専門誌に出てくる。

 「じんぶつア・ラ・カ・ル・ト」という2ページのコラム。そこに5人の「サッカー人」が登場する。1人あたりの記事量は600字程度だが、有名無名さまざまな人をクローズアップして評判は悪くなかった。1982年1月号で、そのひとりに、「個性派ギャル、出張プレー」と、何とも時代を反映した小見出しで高倉が取りあげられたのだ。ただし取材・執筆に当たったのは私ではなく、他の編集部員だった。

 1968年4月19日福島県福島市生まれの高倉は当時13歳の中学1年生。地元の岡山スポーツ少年団で小学校4年生のときにサッカーを始めた高倉だったが、市立第三中学に進学するとバスケット部にはいった。しかしサッカーへの思いを断ち切ることができなかった。

 といっても、当時、福島県はおろか東北地方にも「女子サッカーチーム」などひとつもなかった。2年前に始まった全日本選手権(現在の皇后杯)には、まだ東北からの出場チームがない時代だった。

 ここであきらめず、「それでもサッカーをしたい」と飛躍するのが高倉麻子という女性である。第1回全日本選手権優

こちらの記事は有料会員専用コンテンツとなっております。続きを読む場合はログインしてください。課金登録をされていない場合は、ログイン後に課金状況ページより課金登録を行ってください。

ログインする